ひらふスキー場誕生50年の思い出

NISEKO Mt RESORT Grand HIRAFU

2011年10月

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第3回 ニセコのはじまりは、
イワオヌプリの硫黄鉱山から。

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 さて、これからひらふスキー場が開業した1960年代の話をしていく前に、しばらく時代をさかのぼることをご容赦ください。なにしろニセコのスキー史はレルヒ中佐が倶知安を訪れた1912(明治45)年にはじまるのですし、ニセコに人の営みが生まれたころについても、ぜひ皆さんに知っていただきたいのです。すべては、ニセコひらふをもっと楽しみ、もっと好きになっていただくために?。

 倶知安町に最初の入植があったのは、徳島県人を中心とした47戸が開墾に着手した1892(明治25)年のこと。漁業や交易で中世からさまざまな人の営みがあった日本海側とちがい、北海道の内陸開拓が本格化するのは明治20年代のことでした。
 しかし江戸時代、グランヒラフのあるニセコアンヌプリの北西隣、イワオヌプリから硫黄が採掘され、岩内に運び出されていたことが記録に残っています。採掘は遅くとも1804(文化初)年にさかのぼりますが、本格的に採掘されたのは、1861(万延2)年ころのこと。ニシン漁を中心に当時の岩内で大きな商いをしていた場所請負人佐藤仁左衛門(屋号は仙北屋)が、約20キロの山道を整備して、採掘した硫黄を馬で岩内まで運びました。労働力は、ニシン漁のために集めた雇い人たち。彼らが困難の末に開いた道は、現在の道々66号、ニセコパノラマラインの原型となったのです。

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 時代が明治に下ると、開拓使のお雇い外国人ライマン(地質学者)のお墨付きもあり、本格的な採掘がスタート。1886(明治19)年には三井財閥が日本で初めての蒸気精錬法によって生産を拡大しました。当時硫黄は、日本の重要な輸出品であったマッチの製造に欠かせないもの。開拓がはじまった北海道にとって、きわめて重要な資源だったのです。鉱山は経営母体が替わりながらも、1937(昭和12)年まで操業されました。2009年、かつてのイワオヌプリ硫黄鉱山は、経済産業省の「近代化産業遺産群」に選ばれました。
 ニセコひらふの前史は、こうしてまず、岩内側からはじまります。